「月映え」に行ってきました。
右はサローのゴーさん。
左はピアノのコラピン・ワシカシリ先生。

ゴーさんは北タイの伝統音楽界を代表する若手音楽家です。
北タイの音楽といっても、
日本の方にはあまり馴染みがないですよね。
サローという弦楽器、ギターに似たスン、笛、太鼓、鐘などが、
一定のリズムにのってフレーズを自由にアレンジしながら繰り返す・・・
どことなく、日本のお囃子にも似ています。
ゴーさんは、サローにスンや笛、太鼓や踊りまで、全てこなします。
特に、幼少の頃から演奏してきたサローの名手として知られ、
ソリストとして活動し、歌手の加藤登紀子さんと共演するなど
日本でも何度も公演しています。
このコンサートは、昨年、癌で亡くなった染め・織作家の瀧澤久仁子さんと、
建築家のシリチャイ・ナルミットレーカーガン教授を追悼するために開かれました。
だから、演奏された曲は、日本の童謡など、日本人に馴染みの深い曲ばかりです。
生前、瀧澤さんはチェンマイに工房をもって制作をされていて、
ゴーさんは、若い頃から日本での演奏に招待してもらったり、
いろいろとお世話になったのだそうです。
「月映え」というタイトルは、
ゴーさんが瀧澤さんから教えてもらった日本語です。
タイトルについてゴーさんに聞いてみると、
「ある夜、先生が、月明かりを受けて静かに輝いている石を指して、
『月に照らされた美しい光を『月映え』というんですよ』
と教えてくれました。
僕はこの言葉を聞いて、
暗闇でもよく見ると美しく輝いている光がある、ということに、
何か哲学的な意味を感じて、とても印象に残ったんです」
と言っていました。


左は3本の弦がある特別なタイプ。
ダチョウの卵に漆を塗り重ねた、ゴーさんの手作り。
右は中低音のサロー。
この他に、高音のサローの3本を
曲ごとに持ち替えて演奏していました。
サローという楽器は、
中国の胡弓に似ていますが、
蛇皮を張った胡弓は、
人の声に似た、艶やかな音色なのに対し、
サローはココナッツの殻と木製の板で作られ、
やや固い、少しくぐもったような素朴な音色です。
でも、それは、
まるで木霊が歌っているかのような
穏やかな揺らぎを持った不思議な音。
その昔、
夜になると、年頃の男性はお目当ての女性の家に
このサローなどの楽器を持って行って
窓の外から
演奏を聞かせて気を惹こうとした時代もあったそうです。
は~、ロマンチックですね~。
北部地方の伝統楽器は精霊の世界と通じている
と、ゴーさんは言います。
タイは仏教国ですが、
北タイでは、もともと土着の精霊信仰もあったので、
今でも、仏教を信仰すると共に、
いろいろなものに精霊が宿ると信じられているんです。
なんか、日本と似ているような気もしますね。
楽器をまたいだりしてはいけないのはもちろん、
毎日、演奏の前に楽器に対してワイ(手を合わせて祈る)をします。
これは、音楽を創り、伝えてきた過去の師に対して敬意を払うためであり、
また、楽器には精霊が宿っているから、なのだそうです。
実は、もう、10年以上も前の話になりますが、
私が大学生の頃、
ゴーさんからサローを習ったことがありました。
弦が2本のシンプルな楽器なのですが、それは、もう・・・
「ギーギー」と悲鳴を上げるばかり(苦笑)
美しい音色を出すのも、表情豊かに弾くのも、
見た目よりずっと難しいのです。
そういえば、当時、同年代の私たちは親しみをこめて
「ゴーちゃん」と呼んでいたなぁ。
でも、今回改めて聞いてみると
チェンマイ大学美術学部在学時代から
「今までにない面白いことをしたい!」と、
若き音楽仲間や舞踏家たちと「チャーンサトン」という楽団を結成。
ピアノやフルートなどの西洋の楽器と共演したり、
海外の民族楽器の演奏者とコラボレートしたりと、
当時から、コンテンポラリーで実験的な音作りに挑戦していたんですね!
すごい!
最近は、「ゴー先生」と呼んでしまう私・・・。

お寺で演奏する「チャーンサトン」
今回のコンサートで演奏された曲は、
「赤とんぼ」、「故郷」、「荒城の月」など、日本人なら誰もが知る曲ばかり。
ダンナは「おぼろ月夜」の演奏が良かったと言っていました。
「島歌」のリズミカルな演奏には、一際大きな拍手が贈られていました。
私はゴーさんオリジナルの「なると」と「月映え」という曲が良かったなぁ・・・
なにより、
タイ人のゴーさんが
日本の曲をこれほど情緒豊かに演奏してくださったことに、
とても感激しました☆

家への帰り道、
空を見上げれば「おぼろ月夜」。
美しいものは、なんで切ないんだろう・・・。
は~。
柄にもなく、しんみり染み入りました。
日頃、乱雑に暮らし、
精霊の世界を感じるような感性を持ち合わせてはいませんが、
ゴーさんの音楽は、確かに聴く人の魂に触れました。