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2012年 04月 26日

ドーイタオの布 ティーンジョック・ナムトゥアム ผ้าซิ่นตีนจกน้ำท่วมดอยเต่า

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3~4月はあちこちで「ポーイルアン」という仏教行事が行われます。
ポーイルアンとは、お寺のお堂や仏塔、門などを新築したり修復したりした時に
それを盛大に祝うお祭りです。

先日、ソンクラーン(タイ正月)の前に、
友人のいるドーイタオ郡の村で行われた「ポーイルアン」に行ってきました。
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ドーイタオは初めて行く場所でした。
車で1時間よ、という人もいましたが、
乗合バスでは乗り換えたり、あちこち寄ったりするので、
5時間近くかかり、さすがにちょっとくたびれました(苦笑)

このポーイルアンの行事の中で、友人が地域の織物の紹介をするというので、
それを楽しみにしていたのですが、
織りの実演や舞踏の披露、貴重な古布も多数展示されていて、期待以上の内容でした。

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                         「ティーンジョック・ナムトゥアム」の古布

ドーイタオの織物といえば、「ティーンジョック・ナムトゥアム」が有名です。
「ティーン」は足、「ジョック」は刺繍織りという意味です。

筒状になった腰布の裾部分(ティーン)に
細かい刺繍織りの布がデザインされているのが特徴です。

チェンマイではメーチェム地方のティーンジョックが有名ですが、
ドーイタオのものと柄が少し違うだけで、織り方も同じ。とてもよく似ています。
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                                    シンプルな織物もある

しかし……
ドーイタオの布には、悲しい歴史があります。

実はこの村の人たちは、
1964年にプミポンダムの建設によって村全体がダム湖の底に沈んだため、
今の場所に移り住んだそうです。

布の名前に付けられた「ナムトゥアム」とは、洪水という意味なのです・・・。

さらに、
移住する時に村に織機を置いてきたり、
織機りをやめてしまう人が多かったりと、
一時、この村から機織りの文化がなくなりかけた時があったそうです。



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                                                  คำมอย
彼女が友人のオイちゃんです。
オイちゃんはいわゆる「第3のジェンダー」の人です。
初めて会ったのは、7年くらい前でしょうか。
彼女はチェンマイ市内でメーチェムのジョック織りを習い始めたばかりでした。


機織りの技術を身につけた彼女は、故郷の布をもう一度見つめ直しました。
そして村に帰って、「ティーンジョック・ナムトゥアム」の古布を収集したり、
織れる村人を探したりしたそうです。

3年前に、村で織物グループを立ち上げ、
伝統的な「ティーンジョック・ナムトゥアム」織りを守る活動を続けてきました。

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                                  糸巻きや機織りの実演も


この儀式の中で、村人たち自身が
「ティーンジョック・ナムトゥアム」の美しさを再確認できたのではないでしょうか。

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                    表彰された織り子のおばあさん。うれしそうでした



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もともとティーンジョックの腰布は
寺の儀式など、特別な日に身につける晴れ着です。
ポーイルアンに伝統的な「ティーンジョック・ナムトゥアム」をはいて集まる村の女性たち。
またこんな美しい光景を見に、ドーイタオを訪れてみたいと思いました。
(乗合バスはうんざりですが、苦笑)










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by yunkao | 2012-04-26 02:05 | ちょっと遠くへ
2012年 03月 27日

象使いの話

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今回私が行ったのはエレファントホーム(Thai Elephant Home)という象キャンプです。
このキャンプのオーナーのサティアンさんは
象と人が自然に暮らせることを考えてこのキャンプを作ったそうです。

タイの象には1頭ごとに登録書があり、
持ち主が変わる時には役場に届け出を出すことが義務付けられています。
野生の象や未登録の象もいるので、
正確な頭数は分かりませんが、
サティアンさんの話によると、20年前は1万頭いたのが、
現在は森林の減少と共に3000頭に激減しているそうです。
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登録された象が一番多いのは、
イサーン(東北タイ)のスリン県だそうです。
でも、普段はほとんどの象が仕事を求めて県外に出ていて、スリンにはいないそうです。


エレファントホームがあるメーテーン地区は、
チェンマイの中でも、とりわけ多くの象がいる場所です。
象キャンプだけでも20カ所、250~300頭の象が働いています。

それは、メーテーン地区には6つの山岳民族村や、
メーテーン川の筏下りやトレッキングなどの観光スポットが集中し、
多くの宿泊施設があるから。

昔は、森で木材の切り出しなどに飼われていた象ですが、
森林伐採が禁止され、象も象使いも生活の場を失いました。
今は象の観光産業で働くことが象の仕事の主流になっています。
エレファントキャンプがあるメーテーン地区には、そんな象たちが
スリン県、ランパーン県、プレー県、ターク県、メーホーンソーン県などから、
象使いと共に集まっています。


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                              象は一生成長し続けるそうです。年配象ほど大きい

象は大きく分けると、アフリカ象、アジア象の2種類があり、タイに生息するのはアジア象です。

象1頭につき1人の象使いがついて、生活を共にします。
象の寿命は人間と同じくらいで、
途中で持ち主が変わることもあります。




北タイでは、以前にも紹介した森で暮らすカレン族の象使いが多いのが特徴です。
エレファントホームの象使いもほとんどがカレン族の人です。
その象使い達の中で最も信頼されている象使いがブーンさんです。

バイヤーの経験もあり、
「象のことならなんでもわかる人」です。
他の象キャンプであっても、病気になった象が出ると、
ブーンさんに連絡が入るんですって。
 
このブーンさんにも、いろいろとお話を聞きました。

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                                         ブーンさん


「私はチェンマイ県メーチェム郡にあるカレン族の村の出身です。
象使いになったのは13歳の時。
もともと父が飼っていた大きな象を受け継いだのが最初です。

カレン族は、昔、森の中で象を放し飼いにして、
切り出した木材を運ぶ時などに象を使っていたんですよ。
今はショーや、お客さんを乗せて歩く象タクシーなど、観光客向けの仕事をするのが普通です。
昔は子象が3~4歳になるとしつけを始めましたが、
今はショーの仕事があるので、1歳からしつけをします。

カレン族の象使いは、
母親象と子象を離す時に特別な儀式をします。

それは、呪文を吹き込んだサ2本のトウキビを母象と小象に1本ずつ与え、
魂が抜けだして会いに行ってしまわないように
体に結び止める儀式です。

これをやらないと、将来、お互いが恋しがって、
寂しさのあまり死んでしまうことがある、という言い伝えがあるためです。

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象が病気になれば治療もします。
本来、象はおなかの調子が悪い時などは
土を食べたり、森の中で薬効成分のある木の皮を自分で探して食べたりするものなんですよ。

でも、昔と違って、今は象が自由に森の中を歩ける環境ではありません。
それでいろいろなハーブを調合して作った薬を作って食べさせます。
しかし症状が重い時は、象専門の獣医師のいるランパーンの象病院に連れていきます。

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一人前の象使いになるには、多くの経験を積むことが必要ですね。
象は本来心優しい動物ですが、
想像もつかないことが起きうるので油断はできません。
象はとても臆病ですから、
犬や鶏にさえ怯えて、コントロールが利かなくなることもあるんです。
 
1度こんなことがありました。

象タクシーで数十頭の象にお客を乗せて車道へ出たところ、
なんと、たまたま通りかかった車が目の前でパンクして、
その大きな音に象達が驚いて、一斉に走り出してしまったのです。

体の大きな象がパニックを起こして走り出すと非常に危険です。
その時は数頭がお客を乗せたまま、遠くまで逃げてしまって大変でした。
 

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象は1頭ごとに顔も性格も違います。
聞き分けのいい象は飼うのも楽ですが、
そうではない象は、時には叩いて教えることも重要です。
しつけができていないせいで
象が勝手に近所の農家の畑に入り
農薬を食べて死んでしまったこともありました。


象使いは、自分よりもずっと体が大きく力が強い象を操るために、
「タコー」という調教俸とナイフ(ナタ)をいつも身につけて、
いざというときはこれを使って解決しなければいけない、という緊張感をいつも持っています。
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象がいうことを聞かない時、最初は柄でたたき、それでも聞かない時はカマの背で叩く。
それでもダメならカマの部分でひっかけるようしていうことをきかせる。



タコーを使うことについて、動物愛護の立場からは批判を受けることもありますが、
私は象使いにとって必需品だと思っています。
子供の頃から家族として面倒をみているなら別ですが、
昔、森に放した半野生の象を捕まえて働かせていた頃には、
これがなければ像を操ることは不可能でした。
そして、時には他人の象に
乗らなければいけないこともあります。


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以前、私は日本の観光用象キャンプから招待を受け、
象使いとして働いた経験があります。
その象舎では各象の担当の象使いしか
調教俸をもつことが許されていませんでした。

しかし、それでは象使いと象との主従関係を保つことができず、
象使いは危険にさらされます。

象は芸を覚えるほど賢くなっていきます。
後ろ脚2本で立つ芸を教えた象に、
調教俸を持たない象使いが乗った時、
象はわざと2本足で立ちあがって象使いを振り落とそうとしたことがありました。
象が2本脚で立ちあがると、相当な高さになり、
運が悪ければ、象使いは命を落とすこともあります。

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また、雄の象は、発情期に「トックマン」という興奮状態になることがあり、
長年信頼関係を築いてきた象使いでも
言うことをきかなくなることもあります。

自然界の中で、雄同士が戦うのに必要な生理現象なのでしょうが、
トックマンになった象は本当に危険で、
その時期が過ぎるまで、離れた所に木に繋ぐなどして特別の注意が必要です。
だから象キャンプで飼われているのは雌の象が多いんですよ。

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いい象使いになるには、
動きも判断も俊敏であることと、
それから、強い責任感が求められます。

象は1日くらいなら、水を飲まなくても平気ですが、
1日でも餌を食べないと、その大きな体を維持することができません。
以前私が働いていた象キャンプでは、
酔っ払って餌やりをおろそかにするいい加減な象使いがいて、
私が代わりにエサをやることもありました。
人間の気まぐれで餌やりをさぼるわけにはいかないのです。


そして、何より象が好きであることは、いうまでもありませんね。


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街に行くと象を連れて、レストランや飲み屋のお客に餌を売り歩く象使いをみかけることがあります。
あれはスリン県から来た象で、
チェンマイの郊外に住んでいて、夜になると街に出るようです。
象キャンプで働くよりも儲かる商売ですが、違法です。

だから、彼らは見つかった時に隠れやすいよう、子象を使います。
時々、私のところにも子象を貸し出してくれないかという相談がありますが、私は貸しません。
儲かる商売なのでしょうが、象は幸せではないでしょうから。
カレン族の象使いは誰もやりませんね。

象使いは毎日象の世話をしますが、
象がいるからこそ暮らしていけるのです。
もし象がいなければ、
ほとんどの象使いは、野良仕事か日雇いの重労働でしか
生きていく道はありませんからね。
象使いにとって象は大切な家族の一員なんですよ」


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Elefant home
http://thaielephanthome.com
elephanthome@hotmail.co.jp


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by yunkao | 2012-03-27 11:01 | ちょっと遠くへ
2012年 03月 22日

象使い体験

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タイといえば象。
象に乗るために象キャンプに行く人は多いと思います。
一般的な象キャンプでは象に椅子を乗せて、
お客さんがそこに座る「象タクシー」が体験できます。

でも、象としっかり触れ合いたい!
という人や
象のショーはもういいな、
という人にお勧めなのが、「象使い体験」です。

あくまでも「体験」ですから、
短い期間、象使いさんについてもらって、
象に乗って山や川へ行き、
水浴びをさせ、象舎の掃除をしたり、餌をやったりするプログラムです。

普通の象キャンプでも「象使い体験」が準備されているところがありますが、
私が今回行ってきた「エレファントホーム」は
象と暮らす象使いの昔ながらのスタイルを体験して
象が暮らす自然環境についても学ぶという主旨で、
森林保護活動もプログラムの一環に取り入れられています。

たとえば、今なら山火事にならないよう森の落ち葉を掃いたり、
木を植えたり、という活動もあるそうです。



私は1泊2日で参加しました。

まず、さっそく象に乗って川へ行きました。

乗る時は、象使いと同じように象に声をかけます。
耳たぶをつかんで、横腹の上の方を叩きながら、
「マップロン!」
と言うと、乗りやすいように象がしゃがんでくれるんですよ。
(象には低めの声が聞こえやすいそうです)
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ほかにも、こんな乗り方も。
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足で階段を作ってくれます。

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上級者はこんな乗り方もできます!
鼻乗り。

乗ってみた感想ですが、象は見た目より、た、高い!
最初は高さにくらくらします。

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それなのに、象使いさんは背中に立ちあがって、
高い木になっている果物をとったりします・・・信じられない~

でも、意外とクッションがあるし、
大きな象は動きがゆっくりでとても安定しているので、
乗り心地はなかなかでした☆


2日目。
私にはとりわけかわいい象があてがわれました。
園で一番幼い象のヌンちゃん、4歳。
鼻を私の腕に絡めて口の中に入れようとしたり、
ポケットの中を探ったり、
遊びが大好きな子供の象さんです。

小象とはいえ、体重は800キロ。
力はものすごく強く、
本気になったら私の腕くらいすぐにへし折っちゃうんだろうなと感じましたが、
賢いので、折れない程度の力加減を知っているんですね。 น้ำ้หนักตัวของน้องช้างกว่า800Kgนะค่ะ
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象は人間と同じくらい長生きだそうです。
だいたい象1頭につき象使い1人がついて、面倒をみています。
このホームでは10頭の象が飼われていましたが、
幼かったり、年を取りすぎてショーや象タクシーなどで働けない象を中心に
お世話しているそうです。




山をゆっくり登って行くと・・・・
泥の泉に到着!
象はここの泥を体に塗るのが大好きなんだそうです。

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ということで、参加者は象に泥を塗ってあげます。ぬりぬり~
象があまりにも気持ちよさそうなので、
塗ってあげるのが楽しいんですよね!

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「わーい」 ヌンちゃんも大喜び。
この泥、なんと人間のお肌にもいいと聞き・・・(マッドスパだって)

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私もしっかり泥んこです。

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あ~、こちらは、もうぐんにゃりなってますね(笑)

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お礼にぶちゅ~
象の鼻先の上の、尖ったところが指の役目をするそうです。
アフリカゾウは2本あるんですって。
枝から葉っぱをむしり取るなど、かなり細かいことができます。
ちなみに象のチューは、すんごい吸引力でした(笑)
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鼻を使ってなんでもできます。
これは鼻シャワー。 


私、ちょっと気づきました。
なんで象がかわいいのかというと、
その笑っているみたいな口元が原因なのではないでしょうか。

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                         はははは!                  はははは!(5555)

ね、笑っているみたいでしょ?
象は、基本、笑顔です。 


このあと、川まで行って水浴びをしました。                
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気がつくと、参加者の皆さんは象と遊ぶうちに
いつのまにか子供に戻っていました。(私も、笑)

動物好きの方は、
ぜひ一度、体験してみてはいかがですか?






Thai Elephant Home   http://thaielephanthome.com/






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by yunkao | 2012-03-22 03:23 | ちょっと遠くへ
2012年 01月 29日

森と生きる ④森の民パガヨーの抱える問題 วิถีชีวิตปกาเก่อญอ④

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                                             焼き畑に種をまく

「残念ながら現在のタイの社会では、
山地民は、
『貧しくて不潔だ』、
『焼畑などで、自然を破壊している』
などと、馬鹿にされています。

最近では、ペッブリー県のカレン族の村が、
国立森林保護地区に不法に滞在しているという理由で
森林局員らによって、
家や(竹で作った質素な家だが、それでも立派な彼らの家)
大切な米を保存する米蔵を焼き払われる事件がありました。
(ミャンマーとの国境を越えて逃れてくるカレン族難民がいて、不法にタイの森林保護区に侵入している、というのが政府側の意見)

私達の村も、今は居住が許されていますが、
同じように森林保護区内にあり、
ここに住むことは、実は違法です。
私達の村は、ここでの居住権を主張するだけの力があったので、
今は政府が認めていますが、
もし、自分達の権利を政府に対して主張する力がなければ、
この村も焼き払われていたかもしれません。

村は法律ができるより、遥か昔からここにあり、
この辺りに豊かな森が残っているのも、
私達の祖先が大事に手入れをしてきたからこそなのですが…」


スエさんは、村で制作したノンタオ村の地図を見せてくれた。

それを見ると、どこが農業用地で、どこの森林が利用可能なのか、
そして、どこが伐採を禁止した保護区域かが
一目でわかるように色分けされている。
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            指さしているところがコーヒーが植えられた森。その上の縦縞の森は保護区


よく山地民の農業について問題視されることに、
山の斜面を焼いて畑にする焼き畑農法があるが、
一般的に、無秩序な森林伐採が行われ、
環境破壊を引き起こしていると思われているようだ。


しかし、実際、村の焼き畑は、
もっと森の環境に配慮したものである。

例えば、大きな木は腰の高さくらいに切り、そのまま残す。
そうすることにより、
その木は数年で元の大きさぐらいに成長し、
森は再生する。

また、焼き畑は、村で定めている利用可能な森林内だけで行われ
その他の森は、伐採されることはない。


焼畑によって山火事が起き、
広範囲に森林が消失することも
非難を受ける原因のひとつであるが、
パガヨーの人々は、
畑を焼く前には、畑の回りに野火止めをして
飛び火を防いでいる。
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スエさんによると、
「村の焼畑の方法は、
できうる限り、森の生態系に負担がかからないよう、
使用するのは、わずか1年間です。
場所を移動しながら、5~7年かけて一巡りし、
最初の場所に戻った時には、
また、豊かな森に成長しているのです」ということだ。

一般に森を保護するというと、
手つかずの原生林を守ることだと思いがちだが、
実は、適度に人が手を入れることで
森に光が入る二次林(原生林が伐採や災害によって破壊された後、自然に、または人為的に再生した森林)
の方が、より生態系が豊かで、人にとっての恵みが多いという。 

焼畑で作った畑では、
米以外に50種類以上の作物や
野ネズミなどの小動物が獲れるし、
休閑の年数によって森の規模が異なるため、
そこで生息する動植物も異なり、
結果的に多様な生態系が維持されることになるのだ。

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                             豆、ハーブ、ナス、トマトなど、いろいろな野菜が収穫できる

そこには、森の再生する力を利用した、
人間が半永久的に森と暮らしていくための大きな知恵がある。
日本の「里山」にも共通する、手入れの思想なのである。



「タイの森林はイギリスの木材会社によって
約100年前から伐採が始まりました。
その後、国内での乱開発があり、
ついに森林面積が国土の約20%にまで減る深刻な状況になりました。

森林の分布を地図で見れば、一目瞭然なのですが、
現在タイに残る森林のほとんどの場所に、
パガヨーの村があります。
つまり、タイにかろうじて森林が残っているのは、
パガヨーが、昔から森を大切に守ってきたからなのです。

しかし、その事実を、ほとんどのタイ人は知りません。

後からできた森林保護の法律には、
初めから住んでいる私達パガヨーのことには
一言も触れられていないのです。

森と共に生きるパガヨーの生き方を、タイ人に知ってもらい
認めてもらうことは、私達の夢であり、活動の目標でもあります」
と、スエさんは淡々と語った。

都会の暮らしや考え方もよく知る、
若くて話上手な、この「なまけもののリーダー」が、
今後、シャイな村の青年を代表して果たす役割は大きいだろうと思った。


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                                  米蔵の下の水牛。大切な労働力



ノンタオ村では、今、20万本のコーヒーの苗を栽培している。
これらの苗は、スエさん達の取り組みに共感する、
他の村の人達に配られる予定である。

「最近は、パガヨーの暮らしも変化してきています。
教育費などの現金収入が必要になり、
中には、子供を大学にやるお金のために土地を売る者も出てきました。
森がなければ生きていけないパガヨーにとって、
これは深刻な問題です」
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スエさん達は、
街の人にコーヒーの木のオーナーになってもらう計画も考えている。

苗の植え付けや肥料作りなどの作業に参加してもらいながら
パカヨーの考え方を理解してもらうこと、
そして、苗の管理費用を負担してもらうことで、
コーヒーの生産を安定させ、
教育費など、村人に必要な現金収入にもつなげる、という主旨である。

もちろんオーナーは、
自分で収穫したコーヒーを飲む喜びが味わえる。
ぜひ、実現して欲しいプロジェクトだ。
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                                 森の中のコーヒーを収穫


「私達が求めているのは、
コーヒー栽培のみで生計を立てることではありません。
森の木を1本も切らずに育てている私達のコーヒーが、
街で飲まれることによって、
パガヨーの知恵や森と生きる暮らしを知ってもらう、
ひとつのきっかけになることを願っているのです」

スエさんは、昨年収穫したコーヒーを丁寧に淹れてくれた。
香り高い、ノンタオ村のコーヒー。
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スエさん達は、そのコーヒーに
パガヨー語で、「偉大なる山」という意味の、
「LAPATOラパト」という名前を付けた。
村人が霊山と崇めている
パーゲーム山の高い頂き
に見守られて育った森のコーヒー、
という意味である。

このコーヒーには、「なまけもの」を標榜するスエさん達が
村の将来をかけた、切実な想いが込められているのだ。

(おわり)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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ノンタオ村のオーガニック・コーヒー「LAPATO」では、
できるだけ美味しいコーヒーを飲んでもらうために、
基本的に注文を受けてから精製、焙煎しています。
去年、収穫した豆はすでに品切れですが、
今年収穫した豆は、5~6月から焙煎できる状態になるので、
興味がある人は予約も受け付けています。
【連絡先】hi.waw☆hotmail.com、osiwakorn☆yahoo.com (日本語可)(☆=@)


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by yunkao | 2012-01-29 14:39 | ちょっと遠くへ
2012年 01月 27日

森と生きる ③パガヨーのなまけもの哲学 วิถีชีวิตปกาเก่อญอ③

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                                                   中央がスエさん
「なまけものだから」と、
スエさんはまるで口癖のように繰り返し、
一緒に活動する若者グループを、「なまけものグループ」と呼ぶ。
彼がいう、「なまけもの」という言葉の真意は何なのか。

その夜、焚き火にあたりながら、
スエさんに聞いてみた。

「う~ん」としばらく考えて、スエさんは、
パガヨーに昔から伝わる物話をひとつ、話してくれた。

それは大体こんな内容だ。



昔、ご飯を食べるのも面倒だという
ひどいなまけものがいた。

毎日、果樹の下に寝ころんで、
口を開けて果物が落ちてくるのを待っている、ぐらいの大なまけものだ。

ある日、そこに7人姉妹のお姫様が通りかかった。

お姫様達はなまけものを避けて通ったが、
末娘のお姫様だけが親切に
なまけものの口に果物を入れてあげた。

しかし、末娘は、なまけものに果物をあげたせいで
王様の怒りを買い、宮殿から追い出され、
行き場を失って、
結局、なまけものと結婚することになった。

結婚後も、なまけものを嫌う王様との抗争は続いたが、
最後にはなまけものが勝利した。
その報酬として、
国中のすべての土地がなまけもののものになった。

しかし、なまけものは都をそのまま王様に返し、
自分は末娘と森の中で生涯幸せに暮らした……

という、なんとも不思議なお話だ。

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「パガヨーには、昔から伝わるたくさんの物語がありますが、
その主人公は、孤児や未亡人などの弱者
それから、なまけものが多いんです。

こういう人が主人公のお話は、
弱い人を助け、差別したり、いじめたりしてはいけないと
戒める意味もあるのです。

もし、村に実際に身寄りのない子供や未亡人、お年寄りがいたら、
食べ物を分けたりして、助け合うのが村の常識です」
とスエさんは言う。

社会的弱者はわかるが、
なぜそこに「なまけもの」が入っているのか・・・・



薪を足しながら、スエさんは続けてこんな話を始めた。

「村で農業をしながら、自然の中で暮らしていると、
全てのものが動いているという風に感じるんです。
たとえば、この星も動いているし、
私達も、一刻一刻年をとっている・・・・・。

でも、もし、自分がこの自然のスピードよりも忙しく動いている時は、
その動きを感じられなくなってしまうんです・・・・・・」



なるほど、口を開けて、
果物が熟れて落ちてくるのをじっと待っているなまけものは、
町に住む私たちにはわからなくなっている自然の動きを
よく知っているらしい。


でも、これだけではまだ
「なまけもの」の正体はわからない。


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スエさんは一昨年、日本に行った時のことを話し始めた。
(一昨年、スエさんは日本のアジア学院が行う、
「持続可能な社会と地域づくりのための有機農業をベースにした青年リーダーを育成するプログラム」に参加。
日本で9ヶ月間の研修を経験した)


「一昨年、日本に行った時に思ったんですけど・・・・・・


日本人は、計画的で規則正しく勤勉で、とても立派に見えました。
でも、私が知りあった方たちは、
将来のことで悩んでいる人が多かったですね。

そういえば、日本でお世話になったお宅では、
毎日、『明日、何時に起きますか?』と聞かれました。 
もちろん、翌日の予定のために聞いてくださっているのですが、
村の生活では、その時の状況や自分の調子次第ですから、
何時に起きると決めることは、あまりありません」

確かに、村の中では、
「状況次第でやりましょう」
というフレーズを何度も耳にした。

日本人は「なまけもの」ではない、ということか。



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                                          焼畑で育った陸稲を刈り入れる村人


スエさんは続ける。

「パガヨーにとって、
森と米は命と同じくらい大切なものです。
稲刈りを終え、米蔵に1年分の米が蓄えられると、やっと一安心できます。
そして、雨を貯え、水源となる森がなければ、その米も作れません。

ほかの山岳部の村にあるもっと大きなコーヒーの産地では、
昔ながらの稲作をやめて、
山を大きく切り開いてコーヒー畑にしているところもあります。

そこでは、コーヒーを売ったお金で、
自分達が食べる米を買うのです。
もちろんそれ以上の現金収入が得られるから、やるのでしょうが、
その代わり、売れるコーヒー豆を必死で生産しなければならなくなります。

もし、パガヨーが『なまけもの』でなかったなら、
その村と同じように森の木を切って、
コーヒー畑やトウモロコシ畑に変えて、
一生懸命働いていたかもしれません(笑)」
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現金収入を得るための利潤の高い新しい農業か、
森と共存する昔ながらの農業か。
どちらを選ぶかで、村人の人生観は一変する。


貨幣経済社会で育った私には、
後者の生き方は、なかなか実感を伴った理解が難しい。
スエさんが、町の人に言葉で説明するのもまた難しいであろう。

そういえば、昼間に棚田を通った時、こんな話も聞いた。

昨年、スエさんが丹精して育てた米が
害虫で全滅するという被害に見舞われた。
すぐに他の村人や他の村にいる兄弟が米を分けてくれて、
今年の分はなんとかなるそうだが、大変である。
もし、トウモロコシ畑しかなかったら、
どうなっていたのだろうか?


当たり前の話だが、
自然は人間にいつも都合のいいようにできているわけではない。
時に人間に災いをもたらすこともある。
だから、自然の中では、人は協力し合わなければ、生きていけない。

そして、自然の一部である人間自身もまた、
自分を完全にコントロールすることはできないのだ。
毎朝決まった時間に起きるために、目覚まし時計が要るように。



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                                               焼畑に種まきをしているところ。
ここまで話を聞いてきて、
スエさんたちの「なまけもの哲学」が、なんとなく理解できてきた。

自給自足で暮らす彼らにとって、
自然の恵みを最大限半永久的に得られる方法が、
「なまけもの哲学」なのだ。

そして、「なまけもの」と言っても、
村人を見る限り、本当になまけてばかりいるわけではない。
自給自足の暮らしなのだから当然だが、
そういえば冒頭の物語の主人公も、後半は大活躍していた。

ようするに、余計なことをしない、ということだ。
それは、私たちの価値観からすれば、
怠けているように見える。

スエさんいわく、
「パガヨーの生き方を町の人に説明するには
『なまけもの』という言葉を使うのが、
一番手っ取り早く、簡単なんです」
だそうだ。

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「なまけもの」の生き方とは、
「自然に逆らわない生き方」であり、
そうやって自然に合わせて生きるほうが
人間にとって本当の幸せをもたらすのだと、
パガヨーの物語は教えているのかもしれない。





④につづく
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by yunkao | 2012-01-27 02:46 | ちょっと遠くへ
2012年 01月 22日

森と生きる ②受け継ぎ、伝えたい森の知恵 วิถีชีวิตปกาเก่อญอ②

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                                                    長老に森のことを習う子供達

現在31歳のスエさんは、9人兄弟の6番目。
昔話を聞きながら村で育った。

ノンタオ村には小学校しかなく、
中学は5㎞離れた他の村の学校に通い、
高校は寮に入って、メーワンの町の学校に通った。

高校生の時、
バンコクで「森で生活し利用する権利を訴えるデモ活動」が行われた。
様々な山地民が民族を超えて集まり、
国会議事堂前で座り込みをしたのだ。

それに参加したスエさん。
大人たちに交じって、国会議事堂前に15日間座り続けた。

そこで、この国で自らの民族が置かれている立場や様々な問題、
お金がなくても勉強を続けたければ定時制の大学があることなど、
先輩達から多くの話を聞き、感銘を受ける。

そして、高校卒業を前に、進路を決める時、
スエさんは実家に帰って農業をすることを決意する。

自給自足で生きる両親には、
進学のための教育費を出す余裕はないし、
当時、兄弟も結婚して家を出たばかりで、
(カレン族は婿入り婚なので、結婚すると男性は実家を出ることになる)
家業の農業を担う人手が足りなかったからだ。

しかし、大学進学も諦めてはいなかった。
その後、定時制大学に進み、学位を取得。
現在は、やはり定時制の大学院の土日コースにて勉強中である。

「農業を選んだことを、全く後悔していません。
当時は村を離れて寮に入り、町の高校に通っていたので、
農作業をする機会があまりなく、
最初は不慣れで、上手くできませんでした。
でも、ベテランの父や母、
村の先輩達に教えてもらいながら、少しずつ学びました」
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スエさんは、自分の民族であるパガヨーの伝統文化に、強い関心を持っている。

例えば、パガヨーの男性には、森の中で、古くから伝わる武術を習う、
という修行があるのだが、
これは、師匠と共に森の中で7日間生活しながら、剣術などの武術を習うものだ。
そして、同時に、薬草の知識や、森の中でサバイバルする知恵と技術も身につけるという
昔ながらの学びの場である。

スエさんは、これに3度も参加した。
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                                                パカヨーの刀の舞い

また、村の老人を訪ねては、
パガヨーに伝わる昔話や物語を聞き集めた。

最近は父親や友人と協力して収集した
パガヨーの物語をまとめた本が出版されている。

「森と生きるパガヨーには、
素晴らしい知恵がたくさんあります。
学ばなければいけないことは、まだまだ沢山あるんですよ」
とスエさんは言う。


                                

そんなスエさんが心配しているのは、
若者たちのことだ。

「村を離れ、寮生活が長くなると、
農業はもちろん、
森の中で生き抜く知恵や自分で家を建てる方法など、
これまで村人が普通に持っていた知識を身につける機会がありません。

夜はテレビを見るか、ゲームで遊ぶだけ。
このままでは、自分達の文化が廃れてしまうのではないか……」


そんな想いから、スエさんはパガヨーの青少年を対象にした活動を
青年グループと共に、村の内外で開催している。
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例えば、森の中でキャンプをしながら、
長老達から森の知識やパガヨーの文化を学ぶ。
普段は政府の方針で、
小学校からタイ語の授業しか受けられないが、
活動の中では、全てがパガヨー語で行われる。

「100人の参加者の中から、
たった1人でも、自分達パガヨーの文化に興味を持ってくれれば本望です。
また、進学せずに村で暮らす若者の中には
劣等感を持ってしまう人も多いのですが、
彼らには、自分たちの文化に誇りを持ち、自信をもって欲しいです」
と、スエさんは語る。
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                       山地民の文化交流会でパガヨーの音楽を発表。左がスエさん。

「私がパガヨーの青少年を対象にした活動に関わって、15年以上になります。
でも、これは私達が始めたことではないのです。
実は父親の代から、ずっとやってきたことなんですよ」

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                                  子供たちにパガヨーの民族楽器を教える

彼の父親であるジョニさんは、
以前は村長も務め、
パガヨーだけでなく、タイの山地民全体のカリスマ的リーダーとして、
長年にわたって人権活動や環境保護の啓蒙活動を続けてきた人だ。
タイのテレビの討論番組などにパネリストとして出演することも多く、
問題を抱える多くの山地民の意見を代弁してくれる存在なのである。
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                                            ジョニさん



実は、ジョニさんは、日本に行ったことがある。
屋久島で行われた環境問題のセミナーに招待されたのだ。

「人の魂は樹からやってくる」と信じ、
森の木を大切に守っているパガヨーの長老に対して、
屋久島杉にパガヨーの精霊信仰の中で行われる「延命の儀式」をして欲しい、
という依頼があった。

さて、どの木を選ぼうかという時、
日本人の希望は、樹齢が数千年という、
最も古い杉に儀式を施して欲しいというものだったが、
ジョニさんが選んだのは、
樹齢600~700年の、その森では比較的若い木だったという。

「次の世代を育てることが、一番大切なんです」

という、父親の言葉を、スエさんは実践しているのである。

「変わっていくことは、悪いことばかりではないと思っていますが、
でも、本当に大切だと思えることは、
自分より若い人たちに、伝えて残していきたいです」

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                                           スエさんの村の森の授業にて



もう1つ、スエさんが父親から受け継いだものがある。

まるで、口癖のように、事あるごとに口にする、
「なまけもの」という言葉だ。

村で見たものに、いろいろな質問をすると、
「自分たちは、なまけものだから、こうするのだ」とか、
「自分たちは、なまけものだから、○○しないのだ」とかという答えをよく聞いた。

そして、一緒に活動している青年グループの名前は、ズバリ、
「なまけものグループ」である。 

え? そんなになまけてばかりでいいの? と最初は思ったが、
よく聞いてみると、ただのなまけものとは何かが違うようだ。

  
パガヨーの「なまけもの哲学」とは、
一体どんなものなのだろう。


③パガヨーのなまけもの哲学 วิถีชีวิตปกาเก่อญอ③につづく






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by yunkao | 2012-01-22 21:34 | ちょっと遠くへ
2012年 01月 22日

森と生きる ①森のコーヒー วิถีชีวิตปกาเก่อญอ①

前回のブログでも紹介したノンタオ村
そこに暮らすカレン族の人々は
森の暮らしの達人です。

彼らの生活に触れ、
今、都会で暮らす人にとっても
幸せに生きるための大切なことが、たくさんあると感じました。
それは、私にとって衝撃的なことでした。

その後、この村の青年グループのリーダー的存在である
スエさん(シワゴン・オードーチャオ)さんにインタビューする機会があり、
チェンマイの現地情報誌「ちゃ~お」に記事を書きました。

今回は、その記事を加筆修正し、
長いので、4回に分けてUPしてみます。

興味のある人は読んでみてくださいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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                                                  ノンタオ村
チェンマイの市街地より南へ約40キロ離れたメーワンの町から、
タイ最高峰であるインタノン山の方角へ、車で約1時間。
でこぼこの山道を行ったところに、「ノンタオ村」がある。

300年以上もの歴史があるカレン族の村で、
村人は自分達のことを 「パガヨー」と呼んでいる。
(※1 カレン族はタイの山地民の中で最多数を占める民族。多数のグループがあるが、タイ国内では4つのグループに分けられる。
「パガヨー」は一般的にスゴー・カレンと呼ばれるグループである。)

 

人口は560人。
そのほとんどが農業をしながら、
ほぼ自給自足の暮らしを営んでいる。


今回、お話を伺ったのは、シワゴン・オードーチャオさん。
パガヨーの名前は、スエさんだ。

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                                                Siwakorn Odochao

スエさんは、農業を営む傍ら、区村行政委員会(オーボートー)の委員長秘書をしている。
そして、パガヨーの伝統文化伝承を目的とした村の青年グループのリーダー的存在でもある。

スエさんのお宅の庭には、果樹やバナナの葉の陰で、
人の背丈よりも少し低いくらいのコーヒーの木が
赤や黄色の実をつけていた。
「コーヒーの木は、木陰でじっくり育つほうがいいんです」
とスエさんは言う。

村の各家庭の庭の木陰に
このようにコーヒーが植えられているのだ。

村のコーヒーは、約30年前に国連や王室プロジェクトの一環で、
阿片の原料となる芥子栽培(以前は合法だった)に代わる作物として、
梅や柿、梨、アボガドなどと共に導入された作物の1つだ。

しかし、コーヒーを飲む習慣がなかった村人はあまり興味を持たず、
さらに販売ルートも確保されていなかったため、
長年収穫されずに放置されたままになっていた。

その後、何年もたって、村の暮らしも少しずつ変わり
村人の中にもコーヒーを飲む人が増え、(ほとんどインスタントコーヒーだが)
コーヒーの木に関心を持つ人が出てきた。

それで、スエさんらが再び村のコーヒーの木に注目し、
3年前から収穫するようになったのだそうだ。

この3年間、チェンラーイ県の同じような山岳部のコーヒー産地を見学し、
試行錯誤を重ね、
収穫量はまだまだ少ないが、
ようやく美味しいコーヒーが作れるようになってきた。


飲めるコーヒー豆ができるまでには、下記のように多くの行程がある。

①収穫
②収穫した実を水につけ外の果実を剥く(実は堆肥にする)。
③2~3日水につけてぬめりを取り、さらに4,5回洗う。
④天日に1週間~15日間干す。
⑤麻袋にいれて保存する。
⑥焙煎前に薄皮をとる。
⑦ざるを振って薄皮と種を分ける。
⑧村で飲む豆は土鍋で焙煎し、販売するものはチェンマイ市内の焙煎所に焙煎を依頼する。



村人らが収穫した赤く熟したコーヒーの果実は、村の1カ所に集まってくる。
その後の、皮むきから乾燥、精製、焙煎までの作業は、
村の青年グループが手分けして行う。
熟成期間も含めると、少なくとも半年はかかる。 
 
想像以上に時間がかかる大変な作業だが、
乾燥させた豆は数年保存できるという利点もあるのだそうだ。

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                                      写真は昼間ですが
 
私が訪れた12月のノンタオ村は、南国タイとはいえ、夜はかなり冷え込む。
そんな中、青年グループのメンバーが
手作業でコーヒー豆を洗い、不良豆を選別していた。
水は冷たく、辛い作業だが、
長時間放っておくと実が痛んでしまい豆の質が落ちるので
大切な作業なのだという。

ほかのコーヒー農園に比べて、
すべての過程がより丁寧に行われるのが
ノンタオ村のコーヒーの特徴だ。
そして、それが味にも現われるのだそうだ。




翌日、村から少し離れた森へ、
コーヒーの実を摘みに出かけた。
30年前に植えられた森のコーヒーの木が実をつけているという。

なだらかに続く山道の途中、
稲刈りを終えた棚田をいくつか通り過ぎる。
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スエさんの棚田もあった。
牛が草を食んでいる。
 
重そうな背負子を背負った老婆とすれ違った。
山道なのに、素足だった。
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                                    すれ違ったおばあさん


「着きました。ここですよ!」
と言われても、一見どれがコーヒーの木かわからない。
 
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コーヒーの木は森の木影で、
他の植物と雑ざり合うようにして生えていた。

「この地域は、村人が自主的に『木を切らない』
と定めている森林保護エリアですから、
木は1本も切りません。

木陰に育つコーヒーは、
成長には時間がかかりますが、
樹の下の地面は水分が豊富です。
乾燥から守られ、
じっくりと栄養を蓄えながら育つコーヒーだから、おいしいんですよ」
コーヒーの実をつみながら、
スエさんがそう説明してくれた。

今年はあいにく不作のようで、
収量はわずかで残念だったが
実際に森の中に育つコーヒーを初めて見ることができてよかった。
こうして30年間、
人知れず実をつけていたのだ。
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「コーヒー・チェリーは食べられるんですよ」
とスエさんが言うので、ひとつ食べてみた。 
赤く色づいた実は、ほんのり甘かった。



②受け継ぎ、伝えたい森の知恵 วิถีชีวิตปกาเก่อญอ②につづく










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by yunkao | 2012-01-22 03:46 | ちょっと遠くへ
2011年 12月 15日

カレン族の霊山に登る

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カレン族の村に行ってきました。
チェンマイ市内から南へ行った、
メーワン群の奥にあるノーンタオ村は、
稲刈りも終わり、
コーヒーの実が赤く色づく季節です。

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お世話になったご家族のお父さん、パティ・ジョニ。
気さくに話かけてくれたり、
毛布にくるまって(寒いので)テレビを見たりして、普通のおじさんにみえますが、
実は、村の長老です。
そして、カレン族を代表するリーダーとして、
大きなシンポジウムなどで意見を求められる、
大勢の人から尊敬を集めている方なんです。
お話の中には、いつも意味深い格言が混じっています。

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村に連れて行ってくださったO先生に、
この村のコーヒーを紹介して頂いて、飲んでみたら、
香りのよいとってもおいしいコーヒーでした。

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村のあちこちから集められたコーヒー豆は、
種を取り出して、水に浸してから洗い、天日乾燥をします。
この村は高度が高いのか、
周囲の村よりも特別に冷えるそうなので、
この時期の水仕事は大変ですが、
村の青年が、夜中、こつこつと丁寧に作業をしていました。
焙煎も土鍋や真鍮の鍋を使って、手作業で行うそうです。


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土の家を作っている青年がいました。
家を建てる土地のすぐ前の土と、
もみ殻と水を混ぜて足でこね、日干し煉瓦を作ります。

パティ・ジョニは
「欲張らなくても、幸せの材料は半径10メートル以内に転がっている」
と言ったそうですが、
家の材料も、こんなにすぐ近くにあるんですね。

本来、カレン族の人は、高床式の木造の家を建てますが、
若い世代の人は、学業などで村の外で暮らす時間が長く、
経験が少ないので、自分で家を建てるのが難しくなってきているのだそうです。
しかし、村の男性は、自分の家を自分で建てられるのが、一人前の証。
それで、青年も、土の家を建てることにしたのだそうです。

私たちも、日干し煉瓦を運ぶお手伝いを、
ほんのちょっとやってみましたが(5分)、けっこう重くて大変でした。
でも、夏は涼しく、冬はあたたかい土の家もなかなか素敵です。
がんばってください。

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夕方、村の子が野ネズミ捕りの罠を仕掛けるというので、ついていきました。
途中、イチゴ畑があって、子供たちがぷちっと摘んでくれました(盗み食い?)
畑で食べるのはおいしいです。



2日目に、村人が霊山と崇めているパーゲーム山へ登りました。
傾斜が大きな山なので、雨季は登らないそうです。
ほとんど雨の降らないこの時期でも、
森の中は時々、濃い霧がたちこめます。

稲刈りが終わり、農閑期になると、
村人は心を落ちつけたり、英気を養うためにパーゲームに登ります。
神聖な場所なので、1年に3回以上は登らないそうです。

山頂付近のなだらかな尾根を行くと
突然、切り立った岩山が現れます。

そのてっぺんには、村人によって建てられた仏塔があり、
その日はワンプラ(仏教徒にとって大切な日)だったので、
何人もの村人が、そこをお参りした後、下りてくるのに出会いました。
手にはお参りをした証のように、
山頂に咲いている赤いつつじのような花をもっていました。

そこは私でも何とか登れましたが、問題はその先。
崖を反対側に少し降りて行った先に、
平均台のような足場の細い尾根が連なり、先の崖へと続いています。

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こちらの写真で見ると、
その高さが分かると思います。

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・・・・・・。
足がすくむ高さです。

すっかり忘れていましたが、私は高所恐怖症。
崖を降りていくのもままならず、
ダンナにカメラを渡しました。

しかし、この平均台のような岩を渡れるのは、
村人でも一部の人だけ。
度胸試しの場でもあるようです。
この先は、村の青年スエ君にカメラを託しました。

1枚目の写真も、
スエ君が撮ってくれたものです。

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こちらも、絶景そのもの。
命がけのショットです。

実は私も写っていました。
どこか分かりますか?

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ズーーーム!
真中で、腰を抜かしている人です(苦笑)


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精一杯、かっこいいポーズをとる村の男子。
この頂きで写真を撮ることは、大切な記念になりますね。


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夜は想像以上に冷え込みます。
頂上近くの尾根にテントを張り、
焚き火を囲んで、いろんなことを話します。
コーヒーのこと、野ネズミのこと・・・

この日は満月。
そして、奇しくも皆既月蝕でした。

満月の間は、
月の光が明る過ぎて、星があまり見えませんでしたが、
月蝕が始まると、たくさんの星が瞬き始めました。


カレンに伝わるお話では、
月が神さまの髪飾りを盗んだので、
それを取り返しに、ゲーン(鹿の一種)とクマとムカデが、月を食べるのだそうです。

月蝕の時、月の明かりが赤いときは、ゲーン。
黒い時は、クマ。
そして少しだけ欠けるとき(部分月蝕)は、ムカデなのだそうです。

月を見上げて、
「ゲーンだね・・・」と、スエ君。
日本でも、この日の赤い月を見た人は多かったと思いますが、
山の月蝕も赤くやわらかい光でした。

朝、目が覚めると
東の空の雲海から、朝日が顔を出し、
西の空には満月が沈むところでした。


また、スライドショーを作りました。
最後の数枚は、スエ君の写真です。
素晴らしいショットに感謝!








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by yunkao | 2011-12-15 13:01 | ちょっと遠くへ
2011年 11月 27日

白い糸でつながっている?!

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チェンマイのアパートで暮らし始めた頃のことです。

洗濯物を部屋の前の洗濯ロープにかける時、
ロープに並行して、白い紐があったので、
そこにくつ下をかけようとしたら、
ちょうど出てきたお隣さんに
「そこはだめですよ!」と激しく注意されました。

実は、そのアパートの大家さんの娘さんが
事故で突然お亡くなりになったので、
厄除けのためにアパート中に白い糸を張っていたのです。
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今住んでいるあたりでも、
村でお寺にお布施を届けるお祭りの時などに、
集落一体に白い糸が張られます。

白い糸は、こちらの精霊信仰の儀式や仏教儀式では欠かせないものです。
手首に巻いて、「クワン」という体に宿っているといわれる魂を守ります。
また、家の扉の上に魔除けのしるしと一緒に白い糸を張って、
悪い霊が入らないための結界にもするようです。


さて、
毎年、秋に島根に帰ると、
ちょうど秋のお祭りの時期と重なります。

町中に白い糸が張り巡らされているので、
ああ、お祭りなんだな、とすぐにわかるのですが、
初めてそれを見た時は、
チェンマイの風景とよく似ているので、驚きました。
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場所は遠く離れていますが、
太古の時代から、
同じアジアで育まれた文化が脈々と今につながっているような、
不思議な気分になります。




今年も近所の神社へ、石見神楽(いわみかぐら)を見に行きました。
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この辺りはスサノオノミコトや天照大神などが登場する、
神話の世界を表現した石見神楽が盛んです。
ダンナも子供の頃、この神楽を踊ったそうです。

いろいろな物語が、
夕方から明け方まで、延々と踊られます。

スサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)をやっつける話など、
ヒーローものの世界なので、子供たちは大好き。
この日ばかりは夜更かしして、神楽を見るのだそうです。



神楽の最後には、
やはり、ヤマタノオロチが登場します。

出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流にやってきた須佐之男命は、
ヤマタノオロチに娘たちを食べられてしまった老夫婦に会います。
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                                                         酒を飲む大蛇
最後に残った末娘の櫛名田比売(くしなだひめ)を助けるため、
夫婦に強い酒を準備させて、ヤマタノオロチに飲ませ、
酔って寝ているところを、剣で切り刻むと、
中から太刀が出てきたといわれています。

その演目まで見たかったのですが、夜が苦手な私。
眠くなったので、諦めて家に帰りました。


翌日、近くのショッピングモールでおはやしが聞こえるので
行ってみると、神楽が行われていました。

夜遅くまで見られないチビッコもたくさん。
そこで、ヤマタノオロチもやってくれたので、ラッキー!

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口から花火を拭きながら、暴れる大蛇。
そして、舞台から飛び降りてくる大蛇は、迫力満点でした。





今回もスライドショーにまとめましたので、ごらんください。














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by yunkao | 2011-11-27 13:54 | ちょっと遠くへ
2011年 11月 06日

江津(ごうつ)の風景

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秋の、高くて透き通った空。
江の川(ごうのがわ)の河口です。

江の川は中国太郎と呼ばれる、
中国地方で最も長い川です。

島根に帰省中は、
毎日、近所を散歩しました。
ここは江の川の土手を通るコースです。




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江津駅はすぐ側にあります。
小さな町はとても静か。

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駅の前にある焼肉屋「ふじた」。
見ての通り、元パチンコ屋です。

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この辺りは石州瓦が有名で、
ほとんどの民家には屋根に茶色い瓦が葺かれていて美しいです。
しかし、このお宅の屋根はひどく波打っていますね・・・

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土手を歩いていたら、おじさんが巻き割りをしていました。
「あんたら、どこから来たんかね」とおじさん。

「江津もええとこよ。 海も近いし」

確かにチェンマイには海がありません。

「ヤギもおるし」

え? ヤギ?

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                                         メエ~~~
いました(笑)
こちらはクロちゃん。
名前を呼ぶと答えます。

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                                         ・・・・・・・・・。
こちらはシロちゃん。
名前を呼んでみたけど答えませんでした。

シロちゃんとクロちゃんは、毎日、土手で草を食べます。
手紙は食べません(笑)


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夕暮れ時。
山陰本線の鉄橋を汽車が通っていきました。





最後に、滑るクロちゃんの動画をお楽しみください。
おじさんとクロちゃんが会話をしているみたいですよ。


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by yunkao | 2011-11-06 23:28 | ちょっと遠くへ